| 日毎の梅[梅百首]1997年2月17日~2月25日 |
Feb.17
梅の花見開きにけりみづからの蕊のひかりのまばゆかるべし
ほつほつと莟ほぐれつ如月のひかりのなかのたしかな翳り
梅の花その咲くときも散るときもなべてしじまのうちにすみたり
陽のなかにしんとして臥す蕾かな咲かぬさきからころぶもよくて
かそけくも花のうごくをみてをれば従容といふ漢語のひびき
梅の木に猫がにあふといふことを猫は知りてか熟寝せしかも熟寝=うまい
梅が枝に玩具のごとき目白来て玩具のごとく失せにけるかも
白陶の小鉢を双の手に持ちて知るべし梅の木のこころもち
まなかひにをさまりながらなほ近く梅に巨木のなきはよろしき
統べられてここにあるべし梅が枝の花の光の一束真白
Feb.18
如月の風をよろこぶ白梅の蕾の群は舌なりけむや
今日もそこ明日もまだそこしら梅はとどまることのながき泡雪
すこしづつ頬笑むやうに泣くやうに咲きはじめたりしら梅の花
固織りの空はやうやく地になじみ梅の花てふほころびを見す
左京区といへばまづ咲くひとところ白梅町といふいい名前
白梅は酒ふさはしく紅梅は餡のふさはしなにゆゑならむ
猫ほどの梅の花こそあらばあれこころゆくまで撫でたき日暮れ
いたましき蕊をつつみてさらさらにいたましきかな真白きつぼみ
梅が枝にかかりし風は小粒なる花の鎖をかがよひ渡る
風紋のごとくひろごる梅が香の裾を乱してうたひ初むるも
Feb.19
蜂鳥にあらねどわれは梅が香の
ひとかたまりにもぐり込みたり
梅の蕊あからさまにぞ散りのこる
大きな風よ来てこれを去れ
紺青であれ今生であれあはれ
いかなる空も花は着こなす
やや顔をあげて梅林歩きせり
好もしきかな梅木の背丈
花捨ててまろぶ光を追ひながら
梅の香りはここまで来しか
二十日まり八日の梅の香りにぞ
如月湖とふ名を献ずべき
春の水おちてにほへり
しら梅の小壺小壺のくちをあふれて
刺多き古木なりしが春二月
みどりごの目のごとく笑まひす
みひらきて涙こぼさぬしら梅の
涙こもりて香とはなりぬる
紅梅のいろの孤独を思ふかな
淡紅梅に目はあそびつつ
Feb.20
うちつけに花こそ心
梅の木に
葉のいちまいのなきものすごさ
しら梅のひらききるとき透きて見ゆ
くれなゐ濃ゆき
萼の内沙汰
雄の蕊の
わらわらとゐる花ぬちに
さみどり帯びて雌蕊ひともと
花落ちて
蕊のみのこる紅梅を
大恋愛の果てといふべし
片方の目を病む猫が
満開の
梅の木下を過ぎゆきにけり
をちこちの蕾蕾を結びつけ
春いかづちの
しるしとやせむ
ひめぎみの衿にし似たる紅梅の
莟ゆるびぬ
此乃花さくや
しらたまの梅の蕾の
このたびの
阿部定役の顔ぞ小さき
白梅の蕾は男
なほ早き春をふふみて
くちごもる花
遠き山近き山
いまほのぼのと
春横たはり梅を咲かすも
胸先に
水の流れてくるごとし
しら梅の咲く木をよぎるとき
梅の花
おのが形にさだまりぬ
こごれる春の空を抉りて
白き花
いちどきに咲く梅苑は
春のいのちのいづみなるべし
梅林の奥にあらばや
真水もて
ゆびの傷ぐち洗ふをみなご
梅月夜
いま群星はしらしらと
枝にひらきて香を放ちたり
Feb.21
いいやつの住まひはたしか京急の梅屋敷下車徒歩十五分
梅毒といふものありてわたしども梅一族のかなしみである
はな唄のうたの嘆きを徳利も梅の小鉢も聞いてゐるなり
十方に同じちからが満ちてゐる梅原龍三郎の絵のなか
全日本人名傑作選あらば梅崎春生これは逸せぬ
春の夜の闇の向うに梅の香はいかなる顔をしにやしぬらむ
恋猫の声のごとくに漂ひていづちへ潜む夜の梅の香
うすごほり踏むここちせり夜の明けの巷に梅の香と出会ふとき
梅の香を容れて澄みたる壜ふたつ春の夜の闇春の蒼穹
花ひとつ支へて赤む萼ひとつうしろから見る梅のかはゆさ
つぎつぎにこみあげてくる思ひ出や蕾は花へ変はりゆけども
一瞬の春もこぼさぬ構へにて天に満ちたりしら梅の枝
梅亭主雪ふるひまのふところ手右見左見冬妻を訪ふ
夭折といはばいふべし紅梅の莟枯れつつ枝を離れずも
おのづから花を搾りて滴らす梅の小枝の恋力かな
Feb.22
みづからを雪にたぐへてほんたうの雪に会ふのがしら梅は嫌
矯められて怒り噴き出すごときかも短き枝に咲ける紅梅
漱石の作中甘味数あれど紅梅焼きの名ぞすぐれたる
正直の神戸の女友達に梅のたよりをいつむう七文字
春の夜の闇を煮詰めてせつなくも「夜の梅」とふ菓子の一切れ
洛中に「梅園」といふ甘味屋のありにき今も咲きてをあるか
舌を灼く水あらばこれ一升の壜に透きたる「越乃寒梅」
闇ぬちに真黒き馬を視てゐしが闇にぞ入りつ梅香る頃
強情の家系に咲ける美貌とぞ古木に生れし莟ひと粒
木末までつづくしら梅おほ空へ還らむとする冬のあしあと
Feb.23
ふくらめる涙しのばゆ白梅のわかき一枝をこぼるるつぼみ
満月の光さしこみたればにや梅花百壺が香をあふれしむ
地下室に吹く遊びかぜ撞球を梅の形に並べし置かむ
「桃山」も「桜桃」もある煙草の名かをりよろしき「梅」はあらぬか
わかき日はなにも見ず過ぐなにも見ず過ぎてゆきにき梅に吹く風
追想はひと枝の梅花いくつ咲けど咲けどもひといろの花
花の兄なる梅の花ちちははを求めてか天に向く小枝あり
花数のふえてゆく梅あたらしきことを覚えてゆくがにも見ゆ
瞬きもせでひらききる紅梅の花に雨ふれちらさぬほどの
紅梅の木と白梅の木のあひを琳派の水になりて歩めり
Feb.24
心なきいのちわたくしこの春は梅のこころをかむりてゆかな
梅がいふ散りぎはにいふ左様なら其処で一生惚れてろといふ
今春も梅来春も梅梅の花ひとたび梅と生まれたからは
梅は身を焦がしてゐるのかもしれぬ煙のごとく香ののぼるゆゑ
思ひきや二月の渇き紅梅にその蕊ほどのほそき雨ふれ
花花がさやげる梅の木の芯に若枝色のからだの目白
梅の木に添ひてし待てばまづ目白ふたたび目白ややありて猫
梅の花いひたきことの数数の蕊をばみせてくわとひらきたり
梅林に若いのふたり心中の相談もせであゆみをりけり
梅魚といふ魚そらに棲まひしていいにほひのする鱗を降らす
Feb.25
同じ木に同じ花咲く春されば同じき君をわが恋ひめやも
春の夜の闇の海辺の潮沫のごとくに咲けるしら梅の花
くりかへすたつたひとつのわかれ唄散つてはむすぶ梅のたましひ
百の梅散りつつ問ひしその問ひの答へは百の蕾なりけむ
あしたまでひとりきりなら夜の木の梅の花でもかぞへておいで
おのおのの花をかかげて梅ふた木胸をさらして並びけるかも
春風を酌んで呑みほす白き梅一花一花復た一花
春雨は鍵なりしかな梅畑のつぼみを順に開けてゆきけり
二分ほどいいことばかり思ひ出す梅を見て来たわたしの心
梅を見て梅をわすれてもう一度梅を見るまでわすれてをりぬ
――梅百首 了――
©1997 Sumiyo KOIKE