2025年5月6日火曜日

縞馬家集の棚 2 梅百首

 

 

日毎の梅

[梅百首]

1997217日~225

 

  



    Feb.17

梅の花見開きにけり

みづからの蕊のひかりの

まばゆかるべし



ほつほつと莟ほぐれつ

如月のひかりのなかの

たしかな翳り



梅の花

その咲くときも散るときも

なべてしじまのうちにすみたり



陽のなかに

しんとして臥す蕾かな

咲かぬさきからころぶもよくて



かそけくも花のうごくをみてをれば

従容といふ

漢語のひびき



梅の木に猫がにあふ

といふことを

猫は知りてか熟寝せしかも

熟寝=うまい



梅が枝に

玩具のごとき目白来て

玩具のごとく失せにけるかも



白陶の小鉢を双の手に持ちて

知るべし

梅の木のこころもち



まなかひに

をさまりながらなほ近く

梅に巨木のなきはよろしき



統べられてここにあるべし

梅が枝の花の光の

一束真白

 

 

    Feb.18

如月の風をよろこぶ白梅の蕾の群は舌なりけむや



今日もそこ明日もまだそこしら梅はとどまることのながき泡雪


すこしづつ頬笑むやうに泣くやうに咲きはじめたりしら梅の花



固織りの空はやうやく地になじみ梅の花てふほころびを見す



左京区といへばまづ咲くひとところ白梅町といふいい名前



白梅は酒ふさはしく紅梅は餡のふさはしなにゆゑならむ



猫ほどの梅の花こそあらばあれこころゆくまで撫でたき日暮れ



いたましき蕊をつつみてさらさらにいたましきかな真白きつぼみ



梅が枝にかかりし風は小粒なる花の鎖をかがよひ渡る



風紋のごとくひろごる梅が香の裾を乱してうたひ初むるも

 

 

    Feb.19

          蜂鳥にあらねどわれは梅が香の

          ひとかたまりにもぐり込みたり



          

          梅の蕊あからさまにぞ散りのこる

          大きな風よ来てこれを去れ



          

          紺青であれ今生であれあはれ

          いかなる空も花は着こなす



          

          やや顔をあげて梅林歩きせり

          好もしきかな梅木の背丈



          

          花捨ててまろぶ光を追ひながら

          梅の香りはここまで来しか



                    

          二十日まり八日の梅の香りにぞ

          如月湖とふ名を献ずべき



          

          春の水おちてにほへり

          しら梅の小壺小壺のくちをあふれて



          

          刺多き古木なりしが春二月

          みどりごの目のごとく笑まひす



          

          みひらきて涙こぼさぬしら梅の

          涙こもりて香とはなりぬる



          

          紅梅のいろの孤独を思ふかな

          淡紅梅に目はあそびつつ

 

 


    Feb.20

               うちつけに花こそ心

               梅の木に

               葉のいちまいのなきものすごさ



               

               しら梅のひらききるとき透きて見ゆ

               くれなゐ濃ゆき

               萼の内沙汰



               

               雄の蕊の

               わらわらとゐる花ぬちに

               さみどり帯びて雌蕊ひともと



               

               花落ちて

               蕊のみのこる紅梅を

               大恋愛の果てといふべし



               

               片方の目を病む猫が

               満開の

               梅の木下を過ぎゆきにけり



               

               をちこちの蕾蕾を結びつけ

               春いかづちの

               しるしとやせむ



               

               ひめぎみの衿にし似たる紅梅の

               莟ゆるびぬ

               此乃花さくや



               

               しらたまの梅の蕾の

               このたびの

               阿部定役の顔ぞ小さき



               

               白梅の蕾は男

               なほ早き春をふふみて

               くちごもる花



               

               遠き山近き山

               いまほのぼのと

               春横たはり梅を咲かすも



               

               胸先に

               水の流れてくるごとし

               しら梅の咲く木をよぎるとき



               

            梅の花

               おのが形にさだまりぬ

               こごれる春の空を抉りて



               

            白き花

               いちどきに咲く梅苑は

               春のいのちのいづみなるべし



               

           梅林の奥にあらばや

               真水もて

               ゆびの傷ぐち洗ふをみなご



               

            梅月夜

               いま群星はしらしらと

               枝にひらきて香を放ちたり

 

 


    Feb.21

いいやつの住まひはたしか京急の

梅屋敷下車徒歩十五分



梅毒といふものありて

わたしども梅一族のかなしみである



はな唄のうたの嘆きを

徳利も梅の小鉢も聞いてゐるなり



十方に同じちからが満ちてゐる

梅原龍三郎の絵のなか



全日本人名傑作選あらば

梅崎春生これは逸せぬ



春の夜の闇の向うに梅の香は

いかなる顔をしにやしぬらむ



恋猫の声のごとくに漂ひて

いづちへ潜む夜の梅の香



うすごほり踏むここちせり

夜の明けの巷に梅の香と出会ふとき



梅の香を容れて澄みたる壜ふたつ

春の夜の闇春の蒼穹



花ひとつ支へて赤む萼ひとつ

うしろから見る梅のかはゆさ



つぎつぎにこみあげてくる思ひ出や

蕾は花へ変はりゆけども



一瞬の春もこぼさぬ構へにて

天に満ちたりしら梅の枝



梅亭主雪ふるひまのふところ手

右見左見冬妻を訪ふ



夭折といはばいふべし

紅梅の莟枯れつつ枝を離れずも



おのづから花を搾りて滴らす

梅の小枝の恋力かな

 

 


    Feb.22

       みづからを雪にたぐへてほんたうの雪に会ふのがしら梅は嫌



       

       矯められて怒り噴き出すごときかも短き枝に咲ける紅梅



       

       漱石の作中甘味数あれど紅梅焼きの名ぞすぐれたる



       

     正直の神戸の女友達に梅のたよりをいつむう七文字



       

     春の夜の闇を煮詰めてせつなくも「夜の梅」とふ菓子の一切れ

          


       

       洛中に「梅園」といふ甘味屋のありにき今も咲きてをあるか



       

       舌を灼く水あらばこれ一升の壜に透きたる「越乃寒梅」



       

       闇ぬちに真黒き馬を視てゐしが闇にぞ入りつ梅香る頃



       

       強情の家系に咲ける美貌とぞ古木に生れし莟ひと粒



      

        木末までつづくしら梅おほ空へ還らむとする冬のあしあと

 

 

    Feb.23

ふくらめる涙しのばゆ

白梅のわかき一枝を

こぼるるつぼみ



満月の光さしこみたればにや

梅花百壺が

香をあふれしむ



地下室に吹く遊びかぜ

撞球を

梅の形に並べし置かむ



「桃山」も「桜桃」もある

煙草の名

かをりよろしき「梅」はあらぬか



わかき日はなにも見ず過ぐ

なにも見ず過ぎてゆきにき

梅に吹く風



追想はひと枝の梅

花いくつ咲けど咲けども

ひといろの花



花の兄なる梅の花

ちちははを求めてか天に

向く小枝あり



花数のふえてゆく梅

あたらしきことを

覚えてゆくがにも見ゆ



瞬きもせでひらききる

紅梅の花に雨ふれ

ちらさぬほどの



紅梅の木と白梅の木のあひを

琳派の水になりて

歩めり

 

 


    Feb.24

心なきいのちわたくし

この春は梅のこころをかむりてゆかな



梅がいふ散りぎはにいふ

左様なら其処で一生惚れてろといふ



今春も梅来春も梅梅の花

ひとたび梅と生まれたからは



梅は身を焦がしてゐるのかもしれぬ

煙のごとく香ののぼるゆゑ



思ひきや二月の渇き

紅梅にその蕊ほどのほそき雨ふれ



花花がさやげる梅の木の芯に

若枝色のからだの目白



梅の木に添ひてし待てば

まづ目白ふたたび目白ややありて猫



梅の花いひたきことの数数の

蕊をばみせてくわとひらきたり



梅林に若いのふたり

心中の相談もせであゆみをりけり



梅魚といふ魚そらに棲まひして

いいにほひのする鱗を降らす

 

 

    Feb.25

同じ木に同じ花咲く春されば同じき君をわが恋ひめやも



春の夜の闇の海辺の潮沫のごとくに咲けるしら梅の花



くりかへすたつたひとつのわかれ唄散つてはむすぶ梅のたましひ



百の梅散りつつ問ひしその問ひの答へは百の蕾なりけむ



あしたまでひとりきりなら夜の木の梅の花でもかぞへておいで



おのおのの花をかかげて梅ふた木胸をさらして並びけるかも



春風を酌んで呑みほす白き梅一花一花復た一花



春雨は鍵なりしかな梅畑のつぼみを順に開けてゆきけり



二分ほどいいことばかり思ひ出す梅を見て来たわたしの心



梅を見て梅をわすれてもう一度梅を見るまでわすれてをりぬ

 


――梅百首 了――

©1997 Sumiyo KOIKE 


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