この夏、桜桃の歌あまた出で来れば。 いますこしわすれてゐたきことふたつ桜桃みづにしづみて浮きぬ 桜桃が産むふたりごは桃次郎桜太郎ぞ頬ひかる武者 さくらんぼほどなこどもに生まれたし寿命みじかく兄弟おほく 桜桃の種子はひだりの頬のうちわれのみの知るわれの幸福 あらそひののちを模写して木の桶の水に桜桃百顆浮きゐつ 流水に桜桃あらふ 桜桃は水と逢ふときよろこびにけり 消息は二行と三文字桜桃の酸ゆきがほどのつきあひぞよき さくらんぼくちにまろばせゐるここちさくらんぼとはあたりよき音 桜桃にはつかなる意地ありしかば歯をあててなほ惑へるしばし 桜桃の種子なげすててのち小雨かそけきかなや種蒔きの快 桜桃はふたつ一組なるがつねつねなるよ実のどちらも光 たよりなき桜桃の味いかな味ここな味この十顆取り召せ ちひさかる秘密ありしか桜桃の実の一粒は腐り初めつも 桜桃のなかに灯れるあかるさのいのちを惜しみ惜しみて喰ふも 果物を食べるとは往往にしてその種子を吐くことである。 桜桃の桜桃たりしくるしみのちひさき種子を噛みあてにけり ねぶり果て種子を吐くとき桜桃のいのちあらはになりにけるかも 桜桃のうすき果肉につつまれし種子の偉大は可憐にあらず 桜桃はわがくちなかの黄泉に来て身をほろほろとぬぎはじめたり |