海の柩
話はべつだん、皇帝やかの国の女たちにかぎったことではない。定型に依って表現するということは、定型の置かれてある場所から「生きていたことがないから死んだこともない」ものの視線を、そこ以外の場所へ投げることだ。定型詩を表現の手段とした段階で、ひとは今日の生も明日の死の思わず知らず放棄している。さしあたり両手を空にしないことには、どんな定型も手にできない仕組みになっているからである。
どの定型を選ぶかということは、柩の様式やサイズを選ぶのと変わるところがない。その意味で、複数の定型にあそぶひとは墳墓のなかに宝庫をこしらえ、数多の宝をたくわえていることになるが、玄室に用意してある柩はなんであれひとつきり、死という定型なのである。
墓や柩の話になってしまえば、話題を女にかぎる必要ももはやないから、話をもどそうと思うが、実のところもどすまでもない。なぜなら、歌人は女であるまえに歌人だからである。「女が女を想う」というのは、だから、歌人が歌人を想うことである。いますこし具体をいえば、ひとりの歌人がほかの歌人の歌に存分に含まれた死を堪能することである。死は定型のなかの死と出会うことで死を呼吸する。そのとき、死はかすかに生動する。その一瞬間のみ、どちらの死もおのおのの固有の死を免れる。「死と定型」という喩を用いたが、これを「生と身体」に置き換えても一向、不都合はない。なにしろほんとうには生きても死んでもいないのである。
で、なければ、どうして定型を必要とするだろうか。
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ここにひとつの歌篇がある。タイトルは「君を尋ぬる歌」。表題の下に「詩 高啓(明)」とある。なぜここに明の詩人、高啓が出てくるのか。謎はすぐ解ける。全部で二十首ある歌の頭の一字を拾っていくと、次の高啓の五言絶句「尋胡隠君(胡隠君を尋ぬ)」の二十字になるのである。
不覚到君家
日本語の一音節を頭に据えた折句ならば、古典的なレトリックでもあり、現代の短歌でも試みられないことではない。しかし、漢詩の一字一字から一首一首をスタートさせてゆく折句は、これ以前にあっただろうか、わたしは知らない。表音文字一字から一首をはじめるのと、表意文字一字から一首を起こすのと、どちらが制約が多いかいうまでもない。しかも、これらの漢字は漢詩のなかに埋め込まれているのである。フランソワ・チェンのことばを借りれば、「それじたい生ける存在とも考えられている表意文字」は、漢詩のなかで「盛大な祝祭にくわわっている」。さらに、そこでは「ことごとくが、果てしなく絡みあう照応の網の目のなかで用いられている」(「中国の詩的言語」より)。
「生ける存在」たちがひしめく「盛大な祝祭」の「照応の網の目」。このにぎやかな制約を負って連作を編み上げてゆくとは、いったいどのようなことであろう。
「君を尋ぬる歌」は二十首でひとつの連をなしている。行空けはない。しかし、ここでは五絶の起承転結に合わせて、五首を一組とした四つの聯に分け、各聯に原詩の各句を掲げて引用する。
「渡水復渡水(水を渡り 復た水を渡る)」
渡らする為存するにあらざりけりそなたこなたのあはひの水は
水鏡砕くがに椿落つたりな三年前の恋びとおもふ
又ゆめを見つると言うて欺けば欺かるると知りつつゑまふ
渡りきと確(しか)と思へどささ波のさらとも立たで水面夕星(みなもゆふづづ)
水に棲む如かる君の思はるる袖ゆらぐ藻の、言は水泡(みなわ)の
作者はそこここに水路が走る江南の高啓を表す文字を借りて、原詩とはまったく別の世界を指し示す。水は「そなた(あなた)」と「こなた(わたし)」を隔てるために存在しているとしか思えないけれども、しかし反面、「そなた」と「こなた」をつなぐこともできる。それが二首めの「水鏡」である。ジャン・コクトーの、これもまた古典的な映画『オルフェ』さながら、「水鏡」を突き抜け、失われた恋びとをもとめて冥府の旅に案内されることになるのだろうか。
あの映画では、鏡をくぐり抜ける映像のために、大量の水銀を用いたというが、この「水鏡」の水はなんだろう。謡曲「井筒」の井戸から汲み上げた井戸水だろうか。「井筒に寄りてうなゐ子の、友だち語らひて、互に影を水鏡、面を並べ軸をかけ、心の水もそこひなく、移る月日も重なりて」。女が井戸のなかの水面に恋人の面影を見、「見れば懐かしや、われながら懐かしや」と、自分と恋人の見さかいがつかなくなってしまう話。水鏡を隔ててあるいは通じて、二つの面が向かい合う様子は「渡水復渡水」のシンメトリックな語順にも対応するかのようだ。
「看花還看花(花を看 還た花を看る)」
看ざりけるひと日、看るべきまたの日は雨降らば雨繊かれと思ふ
花降らばうす墨に降れ君知らぬむかしの春の妾(わたし)を葬(はふ)れ
還り逢ふ来世の約をせむと言ふバニラアイスの崩ゆる昼言ふ
看たりけりかばかりにいと嬉しくてうち忘れける扇子(しやんつ)いづこや
花を看よわたくしを看よ希れなるや今生といふ春は希れなり
内容的には第一聯を順当に承けた第二聯。屏風でいえば、二曲めに入る。「雨降らば」「花降らば」と、仮定の雨滴や落花の、いわば幻の垂線が何本も引かれている。前の聯で実在の重みをもって水面に落ちた椿の花首の下降線が何度も反復されていることになる。
視覚上のモチーフの反復に加えて、「雨降らば雨繊かれ」と「花降らばうす墨に降れ」、「花を看よ」と「わたくしを看よ」といった対句をおもわせる照応、「降れ・葬れ」「言ふ・いうふ」「看よ・看よ」などの脚韻は漢詩の技法を意識的に踏襲したものであろう。さらに、「看ざりける・看るべき」「希れなるや・希なり」など、意味をスライドさせながら繰り返すことによって単純なリフレインを避け、反復というもっとも素朴な韻律美を手放さず、なおかつ、連作の流れの停滞を防いでもいるのである。
これは音韻についても言えることである。たとえば、この聯では濁音の使用を二種類にかぎっている。Z音とB音(精確には「ヴァニラ」と表記すべきところもあえて「バニラ」としている)、この二種類の濁音が、偶然のように散らされた金泥と銀泥の飛沫さながら、読み手の耳や目を一瞬、貫く。つかのまの結滞が、むしろ流露感を促す。こういった音韻上の生理的といってよい配慮は、全篇にゆきとどいており、定型という柩の内側を装飾している。その装飾は付加的なものではない。装飾自体が表現なのである。(柩のなかの空無が血肉化するとしたら、それはまず、音韻や韻律のかたちをとるのである。)
「井筒」の井戸の水温にもう一度、耳を傾けてみれば、「徒なりと名にこそ立てれ桜花、年に稀なる人も待ちけり」や、「月やあらぬ春や昔と詠(なが)めしも、いつの頃(ころ)ぞや」の響きを聞くことができる。井筒の底なしの水をくぐって『伊勢物語』の何段かに思いをめぐらすこともできる。
「春風江上路(春風 江上の路)」
春天了(はるなりや)衣はかろく遣る文はあさみどりなれそのあさみどり
風に吹かれたちまち文は到り着きぬわたくしは未だ泥(なづ)む路踏む
江は碧(みどり)ふかきみどりに思はるる眉(まよ)、かろげなるつねの立ち居や
上天に上機嫌なる嫦娥あるかれもたれかにけふ逢ふらしも
路上的柳色青青たぐひまれなるけふの日にあらずとふとも
(るうしやんだりうすうちんちん)
すべてがかろやかにあるなかで、ひとり「わたくし」だけが重く、行き泥んでいる。軽さのなかの重さ。四首目の「嫦娥」は、単に月の異称と解してもよいが、数ある異称のうちから嫦娥を選んでいる以上、「嫦娥奔月」の伝説をおもうのがよいだろう。李商隠の詩「常娥」の中には、嫦娥(常娥)は神話のなかの女で、英雄が仙女からもらった不死の霊薬をぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった、とある。軽いのは、手紙や思い人の立ち居や月だけでなく、典拠となる故事のなかの女までもが軽い。
前の聯ではもっぱら無彩色の直線によるモチーフがくりかえされていたが、この聯では曲線とともに色彩があらわれる。「あさみどり」「みどり」「青青」といった寒色のグラデーションである。そこに加えて月光の「白」がある。簡単に整理してしまえば軽と重の対照に青(翳)と白(光)の対照がかぶっていることになるが、実際には幾層にも、多くの要素が、それも多岐にわたって、重なっているのである。
幾層もある多くの要素のうちのひとつ、典拠についてすこしほりさげてみる。典拠とは、漢詩の詩句のもとになっている叙事を指すとともに、その故事や先人の表現の背景を浮かび上がらせる手法も指す。いわば本歌取りの祖先のようなものである。「嫦娥」は純然たる典拠だが、第一聯の「夕星」の典拠はなんだろう。万葉集の夕星、リヒャルト・ワーグナーの夕星、イーリアスの夕星、とたどってみて、しかし、この歌篇にふさわしいのは、十四番めの詩女神サフォーの、次の詩ではないだろうか。
夕星は、
かがやく朝が(八方に)散らしたものを
みな(もとへ)連れかへす。
羊をかへし、
山羊をかげし、幼な子をまた 母の手に
連れかへす。 (訳・呉茂一)
何人もの翻訳者がこの典雅な詩を日本語に置き換えてきた。日本の文学史に世界の文学史が接ぎ木された接点のひとつにこの「夕星」がある。「連れかへす・かへし」の繰り返しの韻律上の効果はいうまでもない「アナフォラ(繰り返し語法)によって、うるわしさを得ている」(デーメートリオス『文体論』)という「夕星」に対する評言は、「尋胡隠君」にも「君を尋ぬる歌」にもあてはまり、「夕星」を夕星の典拠とする根拠はいよいよふかまる。
さらに踏み込んでよければ、サフォーの「夕星」が「花嫁を迎える宵の到来を告げる夕星を称える」祝婚歌の断章であることに触れておきたい。大和は在原寺の旧跡にあるはずの、許婚者たちの井筒の水面に、ギリシャの祝婚の夕星を映してみるのもよいのではないか。こんな交錯も、一連を読み進めるうちに起こり得る。連作を樹木の林立だとすれば、一首一首の伸ばした枝々が交叉しあってつくりだす無数の空の窓のひとつに、この夕星はある。
いささか無理をしながら、典故さがしをしているようにみえるだろうか。実はそうだ。しかし、それでいいのである。この歌篇が、その単位が一首であれ、一聯であれ、一篇であれ、古来の技法のうえに新に独自の制約を技法として課すことで、過去という海底から多くの詞藻の藻を身に帯びて浮かび上がってきているということ、そしてそれがほかでもない、いま現在ここにあるということ、そしてこれからも生き死にとは別のところに在りつづけるということが言いたいからである。
屋上屋を架すがごとく、技法という制約を積み重ねることで、詩の井戸のうえに櫓を組み、より深いところから水を汲みあげることこそが詩作の本来の意味である。とすれば、典拠を求めて無駄な道草を喰うことが、詩を読むという行為の道のありかたなのである。
「不覚到君家(覚えず君が家に到る)」
不機嫌の眉(まよ)のくらきはなつのよのそらのふかみのはたうつくしき
覚めしのち 去(い)にける春のゆふやみのあるかあらぬの笛の音思はむ
到り着くいづべの地にもあふれゐる灯の砕片ととほい断崖
君は些細な花びらを受け礼を言ひ洋琴(ピアノ)を勧め酒をそと置く
家ぬちに途上の春を曳き来たる客朗々の声したるかな
二首めでは、夢幻能の終幕「夢も破れて覚めにけり、夢は破れ明けにけり」(「井筒」)もさることながら、李白の「春夜落城聞笛」の「誰家玉笛飛声」をBGMとして聴きたいものである。この玉笛の奏でている楽曲「折楊柳」は、多く、別れの哀愁や郷愁を表すものとされている。かすかな笛の音を境に、三首め以降は急に水面に浮かびあがったときのようにさまざまな色や音に彩られ、世界が変わる。高啓は隠者の家にたどりついたが、「君」を尋ねていた作者が到ったのは、さて、どこなのだろう。最後の一首で解きがたい謎が読み手に与えられる。客として或る家を訪れたはずの作者が、読み手といっしょに訪問先の家をながめているかのような奇妙な印象は、なんなのだろう。だって、「朗々の声」の客とはあなたではないか、と、読み手の隣りにいるかもしれぬ作者にたずねようとして、しかし、そこにはだれもいない。技法や典拠の無数の水流によって編まれた海。その編み目の波を旅する、定型というからっぽの柩を、舟をみおくるようにながめるだけである。あの舟には生者はもちろんのこと、死者さえ乗ってはいないのだ。
この歌篇が収められている歌集は『架空荘園』(砂子屋書房)。作者は紀野恵である。
初出「月鞠」第四号〈特集・女を想う〉 2001年5月発行
