1997.11.10
風浴びて生まれ来しかなゆつたりと黒衣を着ればうるほふこころ つきつめてゆけば乳汁の淡さかな無花果の実を風にこぼちぬ乳汁=ちしる 淡さ=うすさ 荒風にもまるる枝の一群の“愛情乞食”を見て過ぎにけり うそひとつまたうそひとつ積みあげて風にゆるがぬ城となりたり さらされて斯くあきらかにかなしきはかなしきところを風吹きしゆゑ 如何に鳴るやその底にわがうづくまるこの壜の上を風吹きゆかば 紙のごとき外套を手にたたみをり風に艶ある夜とぞおもふ 風の弦あてて鳴らしてみたきかな夕べゆたけき坂のある丘 風の夜に気づきはじめてゐたりけり実は憎んでをりしことなど 1997.11.12
秋風はをみなごの群ひとりづつ笑みをたがへてとほり過ぎたり かろがろと風のごとくに熄みにけり人に生まれてきたといふのに 風ならば抱きやすからむあのたかく葉のしげきあの父のごとき樹 風うたふ石笛うたふ指のさきほども生きてはゐないからうたふ 愚かなるをとこなりしがわが父よふるさとはなほ風荒く吹く うばはれしものなにならむなにならむ逆風の坂を走り出したり ものなべて風の向うにあることのくるしみすらも風の茎立ち茎立ち=くくだち 1997.11.13
来し方はなほ行く方も知らぬままうごけるわれを風といふなり どなたかの呼吸のうちに住まひせるここちひねもす吹く南風 うらうらと贋の地球を吹くごとしかつてうたひしわが風の唄 風勁きこと粗皮のごとけれどわれを扼殺をせで過ぎにけり 風の奥澄みとほりたる眸ありぬそのまなざしを浴びむとおもふ 厚らなる雲踏んごんで渡らへる轟丸の風筋が見ゆ轟丸の風筋=とどろきまるのかざすぢ 掲げたきなにもあらずよ海風の旗のごときにくるまるるのみ 風清き夜はねむるなうつとりとさむさのなかでしんでしまふぞ 1997.11.21
裸婦素描
大いなるここちしてわがみあぐれば轟くごとく風に立つ雲 幾筋の風をあつめて描かるる雲かとおもふ女かとおもふ 重心は右の踵にかけながらをみなひそけく柱となりゆく あたたかきやまとの風をうたがはぬ両大腿部双の稜線 秋風のもたらすひかり濃ゆくして乳ふたふさの翳のうつくし わがねむり勾玉となれしましくは風にゆれたれ胸にゆれたれ をみなごのあさきくぼみはほのかなる風のはじまるところとおもふ をみなごは醜いところがうつくしゑ風化してすらさへうつくしゑ やはらかくもゆる灯しのかたちしてほとはあるべし無風の谷に 風落や生まれおちてはみたものの生きてはならぬと風に云はれつ風落=かざおち 風折や折れし小枝の古枝の枉げても香りよかれとおもふ枉げても=まげても 1997.12.20
辻風の神田神保町冬日旅の栞のあかるむを見つ 古書街を吹きぬけてゆく風男ときに矩形の光を連れて風男=かざをとこ 建物にぶちあたりたる大風の乱れおほきく路に落ちたり 右岸にも書肆左岸にも書肆の並み白山通りを風ながれたり 古き書を売る辻辻に風狂の風たる男うつむきてをり風=ふう ひむがしの海ゆ来たりし贈りものゆたけき風の裂かれて届く 1997.12.30
風よ聴くや山鳥の尾のしだり尾のながくかそけき囁きの尾を わが歩みとどまるときに風熄みぬ愛さるるとはかくのごとけむ 風滝といふ滝あらば滝壺の渦のとどろを腹もて聴かむ ゆびの間をあふるるこれをかなしみの疾風と名づけ野にはなちたり疾風=はやち 森林のごとく置かれてある雲をかたどるときに風はまなざし 褐色の木目のながれのうつくしき扉に風を鎖すよふけかな 地表にぞ風をかすかにたてながらゆらゆら死んでゆく独楽独楽=こまつぶり わが五体あたたまるときおもふなり風のなかなる塵なりし頃 ふるさとに吹くあたたかき海風の果ての果てなるわが額髪
──風五十首 了──
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