[月百首]
月といふ夜の口より滔滔と白き光のほとばしりつつ
いづこにも橋を渡して颯颯と月の光はとほりかゆかむ
噛むやうに欠けてゆくのもそれはそれ今宵満満たり月の秋
山吹をつかひはたしてしまひたく蕩蕩として月傾きぬ
日の神が隠せし怒りなりけむや昂昂として月のひかりは
月読の尊が捲る暦はや歴歴として残りすくなき
天地の長子末子をながめつつ飄飄とあれ月読流れ
深深とさながら鏡それでゐてだれも映さぬ月のかむばせ
昏昏と今宵一夜の草枕いな月枕百夜のねむり
大地に力あるべし洶洶と月の光をひきおろしたり
夜長不得眠 明月何灼灼 無名氏
くちびるのほどけてわらふ月のそら喜喜喜喜喜喜喜喜雨のごとしも
月に棲む鳥が浮浮たるあらそひをせしか光の羽毛浮浮浮浮
大きなる月に向かひし草草とわたくし何ぞ草草たりき
光射さば果肉かなしきものなるを月下夭夭たる桃の皿
幾千夜落ちつづけたり滴滴としづくは落ちて月の続きに
夜話の月のかがやき磊磊と積んで積もつて崩れゆくまで
完熟の月を蔵して磨墨の空墨墨とつやめきそめつ
柘榴の実明明とまた灼灼と月の光に灼かれてしづか
おほぞらの空しき芯に央央となりなりてなりあまれよや月
月のみの光恋ほしも坦坦と一里に満たぬ道を歩めり
今日が果て明日が起こるその間を茫茫として月渡るかな
日と月があひよつて為す明日かな今年九月の初めの五日
月光に割かれ初めておのが身を柘榴とおもふ柘榴なりけり
今宵もや月はのぼりぬ古き詩の性的比喩の力しぬばゆ
月明かり乏しきが佳しとぼしかる灯しもてわが酒をさがさむ
満月は蹴鞠ぢや蹴鞠夜明けまで届くぞそちが取つて来るのぢや
しばし夏風邪、耳下を患ふ
花詠めば熱の花咲き月詠めばお多福となる病む人われは
月明看露上 一一珠垂縷 蘇東坡
夜の空凪ぎてしをれば月は舟小豆島産檸檬の型の
月一顆搾りきつたる黄のひかり庭を浸してするどかりけり
月親爺恋人たちはのせぬまま lemon yellow boat 漕ぎ出づ
豊饒の海は月にぞあればよくわれはや淡きひかりを啜る
いにしへの螢の光窓の雪月もありしと思ふが如何に
まんまるがまんまるをはれ遠巻きに27.5日の巡り
宵毎のことなりしかば月面の墨のよごれも見慣れたりけり
♪お月さま幾つ十三ななつそのあとは知らないままでかまはぬ
ながらくを心であるこの天心のうつろを月がとほり過ぎたり
遠国へ月を背負ひてゆくひとの前世はからき塩商人とか
月明星稀 烏鵲南飛 曹操
素晴らしき満月Oに疑ひの雲のかかりてQとなるまで
葡萄園門柱までの街道を照らすためにぞ月はありつる
魂魄は抱きあひながら逃れあふ月の心のなかを永遠
溢溢と光は水とあふるれどのぞき込むなよ月は古井戸
紺染めののれん一押し月光に灼かれしことのある顔を見す
ゴールデンバット復活したりけり満月を背に煙立ち立つ
ゐなければゐないでもよくゐれば「さま」おつけしませう月さま雨が
ご一緒に肩をすぼめてさすものに小雨の傘と宵月の酒
八千草に虫は集きて尽きしなく月の光の箔をふるはす
飲みさしてざざんざ云ひさしてざざんざ月の赫やく音をし聞かむ
かむばせは月のかがやきささなみの潮を裾曳く巨女たれ
匪東方則明 月出之光 <斉風>
三日月の並ぶが如き清冽の若さを毒となにたとへけむ
欠落を深めて月はしろがねの弧となり果てつ恋の如しも
月白の白のなごりの窓の辺に和蘭海芋の束解かれあり
この月の光の水を湛へむと和蘭海芋空をあふぎぬ
蕃海芋ひしめきゐたれ壺庭の月の光の柱のうちに
月の弧の思ひ撓ひてしのぶらむ夜の重さのこの闇消えよ
のびあがる馬のあるべし蒼穹に月よおほきくその弧を保て
あひよりてまたとほざかる月と地の千夜のやうな一夜の話
夕月のうすきがほどにうすうすと見透かされつつ進む恋かも
月光を見返すやうに照り返す風切り羽の位置のあざやぎ
どこからが裏か表か知らざれど海芋の苞を統ぶる月光
月ひとつかるく包めるをみなごの手のひらかそれ和蘭海芋
月色の海芋の花穂の現れやおづおづとして簡明なりし
開きみてどなたもをらぬ紺の部屋けふ月の出は早きに過ぎて
手日記に記せし恋と記さざる恋とがありて月替はるかな
皆既月食見られず
食とふはなほ恥づかしきものなれば雨に隠れて月蝕終はる
殖とふはやや羞づかしきものなれど日も月もふくふくと殖えゆく
青年ら月に草野があるとせばそを踏みわけてゆくが如しも
月下にて肉厚くなる貝が云ふ「いろんなひとを白玉に為き」
濯濯と月の光の瀧の口わがマダム・エドワルダ其処にぞ
照り返すなにもなければうつし身や無月の夜の底に眠りぬ
せつなくも手は及ばねど目は及ぶ及びに及ぶ月のからだに
夜はいま月のかたちにくちをあけ母音唱法もてうたひ初む
母音もてことばを洗ひゐたりけり月の光の泡立つなかに
絵のなかのことなりしかど聖母マリア月のごとかる蛇を踏みゐき
月光の濡れおびただしマドンナがベラドンナへと変ずる廊下
月光に照らされてよきピエタなれひろぐる腕のなかの満ち欠け
脈打てる月の力にしたがひて其を産み放つをみなごあはれ
盃に映るを呑めば栂の木のいやつぎつぎに月を呑みたり
あらがねの三日月を曳く馬あらめ蹄の音が星と散るゆゑ
炎に雌雄ありやわれら月の下にならびゐてなびきあふのみ
月からの風のひとすぢにあひよりぬ同じかたちの炎たるべし
月のひかりにじむがなかの餐の影檸檬の汁の透明がとぶ
世界未だわがものならず頭から月の光を浴びてゐたるも
かそかなる炎をあげて燃ゆるなれ月のひかりの触れしそこここ
夜光何徳 死則又育 屈原
画題いくつか
“5リットルの水を湛へた硝子器に射し込む月の影の描法”
“水中に交差する茎複数が球体即ち月を囲む図”
“月面を覆ひて眠る億万の腹這ひまたは横たはる裸婦”
“月の殻の一部をつつきその孔に嘴を差し込む鳥類の図絵”
“森を踏む月の光の両脚の腿からつま先までの線描”
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月一周旅行終点倉庫街サノバビッチが大書されゐつ
† サノバビッチ= son of a bitch
地平線を綱渡りして女曰く「死ぬよりましと月まできたの」
裏側を見てまゐりました満月の裏は表とおんなじでした
月の裏見てまゐりましたけれども怖くて忘れてしまひました
月を裏返しにしてまゐりました雌雄反転してゐますでしよ
月を食うてまゐりましたくちびるのまはりについた苔がとれない
月を飲んでまゐりました三日月ですので辛口でございました
お月さまさへゐなければたましひだなんてものなどなかつたものを
月割れて卵黄がいま一心に地上めがけてくるなまぐさし
臍帯の縄の梯子がおりてきてのぼれよ月に届くぞといふ
月光の切つ先来てぞ掘り当てよひとが初めて覚えしことば
月光がかすかな音をともなひて語ることばのその意味知らず
──月百首 了──
©1997 KOIKE Sumiyo